ゴム焼き

なんの取り柄もない20歳大学生です

傷つけられること

久しぶりに他人から悪意ある言葉を投げつけられて、しおれた。

 

その人にとっては悪気のない何気ない一言だったとしても、私は、明らかに悪口を言われていると感じてしまった。もしかしたら本当に悪意があったのかもしれないが、それは私にはわからない。とってもとっても嫌な思いをしたことを、忘れたいとは思うけれど、忘れてしまってはならないとも、思う。それは、その人の言動が、自分の普段の一言一言を省みるきっかけになったからだ。自分ももしかしたら無意識に人を傷つける発言をしていたかもしれない。

 

鋭い言葉は時に精神的な傷になる。精神的な傷は、物理的な傷とは少し違う。忘れることによって消え、忘れないことによって残る。どちらを選ぶかは自由だが、これからの自分のために、私は忘れないことを選ぼうと思う。

 

傷付けられてもわたしはヘラヘラ笑っていた。つらいから、辛い時こそ、笑うのだ。きっとその人はわたしが傷ついていることを知らないけれど、どうせならずっと、人を傷つけていることなんか全く気づかずに、そのまま生き続けてしまえばいいと思う。そういう人間に、人の痛みが理解できない人間に、なってしまえ。

私はそうはならない。絶対に

ケチャ

昨日、ケチャまつりとやらを見に行った。私はこの人生で何をやり遂げたというものもないが、一方で他人は確実に何かをやり遂げていたりする。それを見ていると、私も頑張ろうかなと思う。この日は確実に、先輩はケチャをやり遂げていた。

 

それでは、ケチャとはなんぞや。

私はケチャについて、中学生ほどの知識しか携えてない。というのも、中学生の時、社会の授業で上裸の男たちがむさ苦しく叫びながら踊るビデオを見させられて、クラスのみんなでクスクス笑っていた記憶が濃く、それは紛うことなき、ケチャであったのだった。

 

本来、「ケチャ (kecak) とは、インドネシアのバリ島で行われる男声合唱。 または呪術的な踊り(サンヒャン)にともなう舞踏劇」のことらしい。(ウィキペディアより)

 

日本でケチャをやることに意義があるのかは謎だが、芸能山城組という芸能社がメインで、なんと1976年から毎年、新宿の三井ビルディング前の広場にてケチャまつりを開催しているらしい。そんなに歴史があるものなのか、、!と驚嘆しつつ、実際に見てみると、まぁ先輩がお花を頭に2つつけて踊っているのは可愛いらしくて面白いが、正直10分で飽きた。これが結構長いのだよ、、。まず、意味がわからない。そして、解説する声が意外と聞こえない。加えて、広場の硬いレンガづくりの地面に長い時間お尻を載せているためか、お尻が痛くなってジンジンジワジワする。

疲れて来たなーと思っていたら、目の前の子どもが、お母さんに、私が思っていたことと全く同じことを言い始めた。

 

「ねー。おかあさん、意味がわからないし、つまんない!帰りたい!」

 

「これが芸術よ」

 

おかあさん、これが芸術よってアンタ、それで子ども静かになるのかね。と心中突っ込みながら、友達と顔を合わせて笑う。結局その一家は家に帰った。私はなんだかんだ全てを見届けたいという気持ちで、座り続けていた。

 

一応ケチャはストーリーになっていて、王が姫を監禁して、戦って姫を守るみたいな話だった気がする。詳細は分からないし、正直そこまで興味もない。私のこのスタンス加えて解説の声がかなり小さいので、ストーリーを追うどころの話ではなかった。ケチャには興味あったはずで、見に行くことを楽しみにはしていたのだけど、ケチャを見ることにより、その先輩がケチャをしているところを見ることに興味を持っていたことに気付かされた。つまらないつまらないと愚痴ばかりになってしまったが、最後はやり遂げた様な表情をしていたので、私も何かを頑張りたくなったのは事実。

 

ケチャを見終わった一行は楽しく飲みに行って爽やかに解散しましたとさ。

 

廃墟ラブ

うへー。久しぶりにブログ開いて夏の下書きが見つかったので載せる。八月のおはなし。懐かしいな。こんな気持ちだったんだ。



一昨日廃墟に行った。

ついこの前廃墟になったばかりの廃校である。

バイトの先輩と朝まで飲んでおり、送ってもらっていた道すがら、ふらふらのテンションで近所の廃校に通りかかった。詳細は伏せておく。

 

「ここ、最近廃墟になったんですよ。」

 

「廃墟かー。行ってみたいなー。」

 

「私よく行くんです、好きで」

 

「ふーん。俺も計画してたんだけどなかなか行けなくてさ。」

 

「すきなんですか?」

 

「うん、いいよね。行ってみたい」

 

「じゃあ行きましょうよ」

 

「…え?行きたかったの?」

 

「…はい」

 

てな感じで、軽〜い会話の後、ふわっと、なんとなく忍び込んだ。「いきたかったの」ときかれて「はい」と答えてはみたが、別にどうしても行きたかった訳ではないし、なんなら彼氏と行く約束をしていた。「夏がそうさせた」とはこのことかも知れないな、なんて考えていた。

 

先輩は小さくて身軽で、カエルみたいにぽんっと柵を乗り越えた。私も後に続いて、そろそろと柵を越えた。

 

時刻は午前4時だった。夏の夜の空気が後を引いて、充満している。すこしじっとりして、すこしあつい。見渡す限りの校舎と、ムシムシした空気と、残ったおさけが混ざって、普段よりちょっぴしズレたような感覚になる。私はのんきに、パラレルワールドってこんな感じかなとくるくる回った。

 

二人でいろんな扉を開けようと試みるけれど、ほとんど鍵がかかっていて開かない。まあそうだよね〜なんて言って笑いながら帰ろうとしたとき、「プール」と書かれた看板が目に入った。

 

「プールだって」

 

「ほ〜…」

 

半ば諦めつつ、いちるの望みをかけてドアノブに手をかける。二人とも、まあ開かねえだろ、と踏んでいた。ドアノブが回る。

 

意外な手応えがあった。

 

なんと、ドアは開いたのだ。

 

あんまりにもビックリして、それまで滑らかに進んでいた動作が止まる。

 

「えー!」

 

「開いた笑」

 

興奮で先輩にもタメ語になりながら、嬉しくてズンズン進む。

もう1つの扉も難なく開いた。

 

そこは他でもなく、プールだった。小学校のころ、夏に使っていた25メートルプールだ。まだ水が真ん中の方に泥のようになって残っており、乾いたところには、塩素の塊なのか紙のようなゴミがたくさん床にへばりついていた。すこし古めかしいそれは、まさに廃墟としてふさわしかった。私は廃墟がやっぱり好きだ、と改めて思った。

 そこからは写真撮影会が始まった。非日常感からヘンテコなポーズをして写真を撮りまくる。私は自分の殻を破るのが苦手なので無難なポーズばかりだったけど、先輩はなかなかアクロバティックだった。プールサイドを走り抜けたり、プールに飛び込むフォームをしたり、カラカラのプールの中でカバンを投げたり、、楽しそうだったし、私も楽しかった。すこしだけ、恋人のようだった。すこしだけ、浮気の気分だった。全くそんなつもりは無かったはずなんだけど。

 

しばらく写真を撮りまくって、存分に遊んで、私たちは外に出た。プールの中は暑くてちょっぴり変なにおいがしたけど、そとは清々しい。夜の空気はの残り香は消え去り、朝の爽やかな空気が辺りを通り抜ける。。もう一度柵を越えたときには、もう6時になっていた。

 

私と先輩は疲れながらも興奮して、すこし柵の外で話してから、家路についた。近所ではあるがもちろん別々の家だ。先輩は私の家に行きたいというそぶりを見せなかったし、私も連れて行きたいというそぶりは見せなかった。その逆も然り。てなわけで、微妙な空気感の中二人は歩道橋の下で別れた。この日のこの気持ちは一体何だったのかわからないけど、帰ってからシャワーを浴びながら、恋のような気持ちを抱いているのが分かった。

 

「のような」だけど…。

ニーネ

昨日、阿佐ヶ谷でニーネというバンドのギターボーカルの大塚さんの弾き語りを見に行った。結果からいうと、めちゃめちゃシビれた!かっこ良かった!

そもそものきっかけは、ニーネの大ファンだと言う漫画家の大橋裕之による似顔絵を、私もちょっくら描いてもらおうと意気込んで行ったことにある(大橋裕之のファンなので)。

 

会場はとっても小さいスペース、スペースと言うかアパートの一室?で、空気も悪く、正直居づらくて、始めは我慢して背もたれのない硬い椅子にじっとり座っていた。当初の目当てだったはずの似顔絵も500円取るのか…どうしよう…お金ないし…と悩み出して、開始早々帰りたいと思ってしまっている自分がいた。

 

弾き語りは出演者二人で、一人はEMCの江本さん、もう一人はニーネの大塚さんだった。江本さんの演奏が終わり、休憩がてら外に出て背筋をのばす。夏の蒸し蒸しする空気すら快適だった。このまま帰っちまおうかな、とも思ったが、最初に払った3000円がなんとも惜しい。学生と言う身分も相まって、どこまでもケチだ。隣の阿佐ヶ谷姉妹の看板を見つめボーっとしたあと、しばらくして会場に戻ることにした。

 

会場に戻ると、ミッキーマウスのポロシャツを着たニーネの大塚さんが、すこし話をして、ギターを弾き始めた。演奏が始まるまで、ミッキーマウスをじっと見ながら帰ろうか悩んでいたのに、私はすぐに大塚さんの演奏に引き込まれることとなった。ちょっと溜めるように弾くギター、少し音のズレた、でもまっすぐな歌声、猫背でクッとお客さんを見つめながら歌う彼の目に、私は吸引された。惚れてしまったのだ。

 

斉藤由貴の不倫の歌「情熱」を歌い上げ、「ボクはいいと思いますけどネ、ふりん」と言って、イタズラそうに微笑むその笑顔に、むねをい抜かれた。会場には、人生のすいもあまいも経験したくらいの年齢の人が多いこともあり、まわりはスッと静まり返ってしまったが、勇気さえあれば、わたしも不倫賛成派です!と声高々に叫びたかったところである。まあ、恥ずかしいのでやめた。「マカロンの歌」では、すこしピッチを早めて、ギターをギュンギュン言わせて、屈んだり立ったり大忙しで、それもまたかっこ良かった。見たことがないけどマカロンを君と食べたいなんて、いつかだれかに言われてみたいよ。曲にまつわる数々のエピソードも、それにつながる歌詞も、一見くだらないようで、ひとりひとりにとってとても重要な話のように思える。大塚さんと大橋裕之とが「タイ料理」のセッションをしたあと、私の頭の中でこの曲のくり返しタイ料理と叫ぶ部分がぐるぐるぐるぐる回って止まらない。今でこそパクチーブームだが、「僕はパクチーが好きで君もパクチーが好きだから今度一緒にタイ料理を食べよう」なんて内容の歌詞がいまから7年前に出てきたとは、流石である。そもそも、僕も君もこれが好きだから同じことをして、同じ空気を味わおうという考え方は、とってもとっても単純明快で純粋で素直なのに、とってもとっても難しいことのように思える。

大橋裕之は「ロックが何かわからないけどニーネはロックなのだと思う」とベストアルバムの帯で語っていたが、私も本当にその通りだと思った。この人ほど子どものころの純粋さで歌詞に向き合っている人は居るのだろうか。ドキドキが止まらないと同時に、20のくせにひねくれ野郎の自分がちょっぴりなさけなくなったよ。

 

この後のカバー大会も秀逸で、江本さんと二人でゆらゆら帝国のパーティはやらないをしたとき、大塚さんがエレキに変えてポロポロ音を出していたのが印象的で、一音一音心にキュッと刺さった。こんなにいい歌だたっけ、とも思った。

 

 

なんかめんどくさくなってきたから書くのはこのくらいにする。CDを買って大塚さんと握手をして帰り、完全に恋に落ちた私は、会場で寝ていた彼氏に王将で説教をして、お家へ帰ったのでした

馬鹿にされるひと

馬鹿にされている人。私のことであると日々感じる。自責の念の強い鬱病ではない。本当にそうなのだ。他にもそう思っている人はこの世に沢山いるのではないかと思う。馬鹿にされることは非常に屈辱的なことだ。誰からされるにしても。

かと言って馬鹿にされていることを怒って、馬鹿にするな!と叫ぶひとは余りにも自分を省みて無い。と言うのも、当たり前のことだが、馬鹿にされる人には必ず、周りからどこかで価値のない人間と見なされていたり、その人自身の言動から居てもいなくても変わりのない存在だと判断されているなど、馬鹿にされるに至る原因がいくつかあるからだ。馬鹿にされたくないのならば、馬鹿にしてくる人に腹を立てる前に、自分を反省し、知識と教養を身につけ、馬鹿にされるとこを防ぐ努力をするか、馬鹿にされることを気にしないほどに自分を強く持つ努力をするべきであると思う。頑張るぞ〜〜!


映画(ゴム焼き)

ピーズのことは最近武道館でコンサートを開いていたこと以外ほとんど知らない。一度ととあるアーティストがライブで日が暮れても彼女と歩いてたをカバーしているのを観て、ドキドキしたので、あとでとどめをハデにくれという名前のアルバムをitunesストアで購入してみた。映画(ゴム焼き)を散歩しながら聴いていると、20歳の無知で馬鹿でやるせない自分がほんの少しだけ肯定されるようで、妙に元気が湧いてくる。この曲を知ってからほとんど毎日一回は聴いている。


ところが最近イヤホンをなくしてしまい、映画(ゴム焼き)を聴くことができていない。ちなみに、わたしの毎日はとてもしんどい。何がしんどいかって一言で言うと至極単純で、人と接することである。人と接するたびに悩んで苦しんで傷つき傷つけることを恐れてしまう。それを周りがコミュ障とか、病んでいるとかでまとめてしまうのも、マァそれはそれでいいし、間違ってはいないのだけど、、もやもや!とにかく毎日そんななのに、大好きなこの曲を散歩で聴けないとなると、今年の夏の暑さと相まって気が狂いそうになるのだよ。探すの諦めて今日アマゾンでイヤホン買っちゃった。早く届いてくれ〜〜


てなわけでこの匿名ブログを始めるに当たり、早く外で聴きたい気持ちを込めて、I.D.をゴム焼きにしてみました