ゴム焼き

なんの取り柄もない20歳大学生です

よく食べる

無性におなかがすくので、最近はよく食べている。生理前の現象だったりするのですが…。最近はまたやることがなくなって、化粧もしたくないからこうやって家でPCと向き合っている。

 

何となく中央線のブログでも始めてみようかなー。中央線沿いに住んで3年目を迎えたらしい。今の家に引っ越して1年。前の彼氏と仲良かった時のこととか思い出して、なんだか早々に体の老いを感じている。だめだな。落ちてくぞ。だめだめ。落ちるな私。

 

ほんとは暇じゃないけどやりたくないことしかないから、ブログを新しく開きます。中央線沿線のお店とかの。はは。くだらねー

 

 

演技をした日

(調子に乗らないようにしなきゃ。春休み楽しいから、楽しいけど、だからこそ落ち着いて構えよう。)

 

…なんて考えている毎日。就活は足音を立ててすぐそこまで近づいているが、なんだかんだまだ始まってはいないので大学生の春休みらしく暇を満喫している。マァ満喫とはいっても、フリーターの友達(というかほとんど恋の気配などなくなったバイト先の先輩なのだが)が一人いるのでとても心軽く、二人で暇をつぶす日が何日も続いているくらいだ。一緒にいて楽しい人がいることはとても幸せである。この幸せを死ぬまでかみしめたいな。先輩とはいずれ別れる日が来るでしょうけど、なんてな!マッタク、恋人がほしいぜ!

 

ところで今日はというと、人生でほぼ初めての「演技」をした。頼まれて二つ返事でOKしてしまったものの、私は過去演技の経験がほとんど無く、わざとらしくすることや嘘をつくことが日常的に苦手だし(ちなみにいい子ぶっているわけではない。自分で自分が恥ずかしくなって、本気でしたいのに、できない。)、正直ノリもあまりいい方ではない。要は、本当に演技をすることに不安しか抱いてなかったのだ。

 

昨日先輩にふとその話をすると、最高にノリのいい彼は

「俺もそれ不安だわ。じゃあ練習しよ!」

と言ってくれて、何を思ったか漫才のコントの台本をスマホで検索して二人で読み合わせをした。慣れてくるとなかなか楽しくて、最終的に演技の練習であることを忘れて楽しんでいた。ある程度自分を捨てるって結構恥ずかしいけど、やってみると案外気持ちのいいものだなーなんて思ったりする。私たちのお気に入りだったネタ、というかいつも話してる内容みたいなネタは銀シャリの「ボーリング」というコントだった。ボーリングのうまい人(ツッコミ)が究極にボーリングの下手な人(ボケ)にコツを教えるという内容なのだが、いつも何かしら先輩から教えてもらうことの多い私はボケにとっても共感してしまって、台本を自然に読むことができたというわけである。

 

この活動が功を奏したのか(?)、今日の演技はするりといつもの自分を捨てることができた、、いや、完全に捨て切ったとは言えないが、なんとも自然に演技することができた。そして人見知りとは言え、人間緊張が解けたら初めて会う人たちともするする会話ができるようになるもので、今日は演者さんやカメラさん、音響の方など、たくさんの人とお話しすることもできた。主人公のキャバで働く1コ下のユキちゃん、めっちゃ可愛かったなー。橋本環奈みたいで。

 

撮影はとある大学で行われ、数時間で終わり、大したこともしてないのに5千円もらってしまったのでうれしい。最寄り駅まで送ってもらって家に帰っていい春休みだなーと思いながらお風呂に入ってブログを書いているという次第。

 

明日はインターンだ。最終日だし頑張っていくぞーー

なくしたくないもの

あなたを失うのが怖い。怖い。怖い。

毎日孤独で、好きな人より嫌いな人の方が多いナカで、私はあなたが必要だけどあなたは私を本当に欲してるわけじゃない。これは本当に悲しいことだ。

もう少し甘えさせてくれ。本当はいつだって自分がひとりぼっちなことが怖い。いつからこうなったのかな。もう少し頑張れよ私。怖いよ。怖い。私は一人じゃ生きていけない。かなしいよ冬

そのあとのはなし

ブログを久しぶりに開くと、タイムカプセルを開くみたいで気持ちがいい。面白くて、わくわくする。パスワード、ずっと覚えておこう。てかどんだけ病んでたんだ。今もさして気持ちは変わらないけど。


この後私は彼氏と別れた。原因は、私が春にこれまた別の人と浮気のようなこと(客観的に見れば完全に浮気)をしていてふられたこと、そもそも二人の時間が合わなくなったこと、などなど、、


正直、直後は本当に悲しくて、ひとりぼっちのような気持ちで、しくしく泣いていた。

友達の家に行ったり、家族に電話したりして、なんとか寂しさを和らげていた。

それが終わって、本当にひとりぼっちになった時、私はこの廃墟先輩に飲みに誘われて、そこからトントン拍子で仲良くなった。今では都合のいい女みたいな感じなのだが。。クソー。でも、先輩もひまらしく、前みたいに何もしない日は減って、充実感はある。確立された愛情は無いけど、、

愛情を受けることと充実のどちらがいいのかわからないし、両方あるに越したことは無いけど、今は愛されるより愛したい、てな訳で2017年の終わりに友達数人に愛の手紙を送った。元彼にも送ろうとして書いたけど、受け取ってくれなかった。まあいいのだ。また今度何かにぶつければいい。それまでこの気持ちは取っておこう。


表現といえば、ふられてから刺繍を再開した。刺繍は趣味でしていたけど、もう少し楽しくできるんじゃ無いかな、とたくさん色糸を使ってチクチクしてたら楽しくなっちゃって、インスタに乗せたら褒められちゃって、、みたいな流れで調子に乗っている。

これからも続けられたらいいなぁ。


その前に単位を回収して就職もしなきゃというところ、、これからも頑張ろうー

何も無い日々

何しない日が3日ほど続いている。アルバイト以外ずっと何もせず部屋でゴロゴロして暮らしている。こうして「ずっと何もせず」暮らしていると、自分はひどくつまらないやつで、他人から全く相手にされないやつなのではないかと思えてくる。正直そうなのかもしれないけれど、自分でそう言ってしまうとおしまいなので、言わないことにする。

 

普段何してるの?なんて聞かれても、何もしていないから、何しているんですかね?と質問することになる。馬鹿の答えだ。空っぽに生きてる奴の答えだ。本読んでます。とか言えるくらいに本を読んでくれ。自分。

 

明日は久しぶりに遊びに行く。心のセラピーになるといいな。

インターンシップ

私は大学生真っ盛りの三年生である。しかし、大学に友達はほぼいない。何故だか分からないのだが、本当にいない。この「原因が分からない」ことが一番厄介な気がする。以前はいくつかサークルに入ってはいたが、集団行動があまりにも苦手で、今は何のコミュニティにも属していない状態である。大学の中に居て、何故私はいつも一人なのだろうか…と時々考えてしまうが、無闇に周りに合わせることをやめた結果であるので、所謂社会不適合者と言う他無いのだと思う。

 

ただし運のいいことに、同じ高校の友達は多数、進学に伴い上京してきていて、皆んなが私を構ってくれるので、なんだかんだでバイトと加えて楽しい夏休みを送ることが出来ている。感謝感激。

 

そんな大学三年生の私は、そろそろ就職活動を見据えて行動している。多数の企業が行なっているインターン・シップというやつに参加してみたいのだ。書類選考はほぼ通り、あとは面接を受けるところなのだが、これが最も厄介である。

 

なぜなら、就活は虚構との闘いだからだ。

自分に嘘をつき、相手に嘘をつき、いかに自らを大きく見せるかを考えること。就活の面接は、これに尽きると私は感じている。

 

まず、話し方から。

私は、ハキハキ喋る方では無い。声もそこまで大きく無い。しかし、声を大きく、ハキハキと喋るのが就活では欠かせないし、社会人になるための第一歩でもある。

ここがもう既に1つ目の嘘になる。

 

それから、話す内容、つまり自分の経歴である。

就活では自らの経歴を盛って話す。自らの持っている1をいかに10にするかを考えるのだ。足す9の部分は嘘でもハッタリでも構わない。それを見抜かれない技術と会話力でカバーすることが重要である。

 

こんなことを繰り返していると、自分がなんのために社会人になるのかが見えなくなってくる。大人になるとはこういうことだったのかしら、と思い、大きな大きな壁にぶち当たっている。壁にぶち当たって強くなるというより、嘘を重ねて強くなると言った方が、就活では正しい表現なのかも知れない。こういう風に考えてしまう私は、(甘えていると言われること覚悟で言うが、)就活に向いて居ないし、きっと多くの就活生も、これらの事実に気づきながら見て見ぬ振りをしているのだろう。

 

自分がどのような社会人になりたいか、周りと環境に忙殺される前に、真摯に考えたいと思った。